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今日は、2限から4限まで、3人の卒論指導。 いずれも、3章立ての2章までほぼ完成にこぎつけた。「登頂」間近である。 今までガスに覆われていた視界が急に晴れて、山頂がくっきりと佇立している感じである。 「見ろ、もう少しで山頂だ。」 ゼミ生たちに、一声かけて、アタックを開始する心境である。 一方、他の「登山者」たちは、まだまだ下にいる…。(ついて来ているのかな) 今日の学生の中には、井伏鱒二の縁戚がいる。 卒論の取材をかねて、本家(井伏の兄の家)を訪問してきた時のデジカメ画像を、「きゃんきゃんがうがう 」(喧々諤々?)の卒論指導の後に見せてくれた。本家の表札は、井伏の直筆になる「本 井伏」の文字が見える。 「本」というのは、本家の略号と推察する。 家の庭は、背景の山を借景に取り入れた、広大な敷地を擁し、あずま屋までついている。 井伏は東京からふら〜っと帰ってきては、この庭のベンチで勝手に小休憩をとっていたらしい。 しかし、本家の息子の嫁さんは、この大叔父を知らないので、不審なオジサンが庭にいるのを誰何して、井伏に怒られたことがあるとのことだ。(→訂正;以下のコメント欄にゼミ生から書き込まれたように、若ヨメさんが怒られたのは、井伏からではなく、お姑さんからだとのことです。) 山腹にある、この本家からは、福山近在の家々が、点在しているのが見下ろされるのだが、写真で見ても「ど」がつく場所である。しかし、本家の主がいうには、「これでも増えた」とのこと。 ここは、時間がとてもゆるやかに流れているようだ。 井伏のエッセイに出てくる村人たちのエピソードに思いを馳せながら、ゼミ生の本家訪問譚に耳を傾けるのであった。 人間には、個人としての人生があるが、井伏の家のように古い時代から受け継がれてきている、文化の良質の部分を反映した「人生」もあるように思う。 的確にいえないのだが、そういうその家特有の「家風」というのか文化的なDNAのようなものが、時代と交わって生み出したのが、井伏という「作家」だったのだろう。 うちなどは、元禄から300年続いているだけの、由緒正しい小作農民の末裔である。 ゼミ生のような、すぐれた?結節点を生み出した「人生」を持っているわけではない。 実にうらやましいことである。なんとか、うちも後世に残せるものを捻り出さないと。 一年の終りに、そんなことを、取りとめなく学生と話すのであった。 ところで、プレゼントがないことを昨日のブログで書いたために、木村を憐れんでか、指導したゼミ生がプレゼントを持ってきてくれた。 ありがたいやら、恐縮やら、本当に申し訳なく思いました。 こういうつもりで書いたわけではないので、以後、ご配慮は無用に願います。 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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井伏鱒二という作家の文章も教科書からはめっきり姿を消してきましたねえ。私が中高生のころは「山椒魚」や「黒い雨」を必ず習ったものですが。 |
京都の某親子の親 2008/12/25 22:26 |
今日はご指導ありがとうございました。 |
iku 2008/12/25 23:53 |
「山椒魚」などは、今読み返すと、深い話だなぁと思うのですが、今の生徒たちにはもう読むだけでも精一杯で、その先へ行かないのでしょうね。 |
きむらたくみ 2008/12/26 00:02 |
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